「中枢神経系TRPチャネルおよび金属トランスポータの機能解析」
(Functional analyses of TRP channels and metal ion transporters expressed in the CNS)

京都大学大学院薬学研究科
生体機能解析学分野
金子 周司

 ヒトゲノム解読によって始まった未知なる遺伝子の探索とその機能解析において,重要な目標のひとつはゲノム情報を活かした疾患原因の追及と創薬標的の発掘および評価にある。
 下図左は過去に臨床で用いられてきた医薬品をその標的生体分子によってグループ化した上でそれらを機能から分類した割合を示している。一方,下図右はヒトゲノム中で創薬標的となりうる生体分子の遺伝子数を推測した結果である。この左右の割合における差は,創薬標的の将来性を表しているが,反面,膜輸送タンパク質のように細胞レベルでの高速計測技術の未発達や実験ノウハウの不足による困難も予想できる。

 我々は本COEプログラムにおいて,この将来有望な創薬標的としての膜輸送タンパク質,すなわちイオンチャネルとトランスポータに焦点を定め,方法論を模索しながら未だ機能解析がなされていない遺伝子ファミリーを中心に,創薬の基盤となる機能解析と病態への関与の評価を行った。

1.脳とTRPチャネル
 TRP(transient receptor potential)ファミリーはDrosophila変異体の原因遺伝子に起源を有する非選択的カチオンチャネル群であり,哺乳類で見出された20数種類のホモログは触覚・温熱などの感覚センサー(TRPV)と平滑筋や免疫細胞等の非興奮性細胞におけるCa2+流入経路(TRPC, TRPM)など6種類のサブファミリーに構造上分類できることが分かってきた。しかし我々を含めたこれまでの研究から,電位依存性Ca2+チャネルやNMDAチャネルなど既知のCa2+流入経路を有する中枢ニューロンにも一部のTRPファミリー分子が特異的に発現していることが明らかになってきた。
 脳卒中やアルツハイマー病,パーキンソン病などの神経変性疾患において,Ca2+は重要な生存決定因子であり,ニューロンに発現するTRP分子が病態形成において細胞修復・細胞死のいずれに寄与するのかは神経変性疾患の治療方略を考える上で,重要な問題である。一方,神経変性時に増殖・遊走が見られるグリア細胞(アストログリア,ミクログリア)の機能にもCa2+は必須であり,そのCa2+流入経路としてもグリア細胞にあるTRPの関与を疑うことができる。
 以上の背景に基づいて我々は,中枢ニューロンのCa2+過剰による細胞死,グリア細胞のCa2+取り込みによる増殖・遊走・分化におけるTRPチャネル分子の役割を明らかにし,神経変性疾患に対する有効性の高い治療薬の薬物標的としての評価を行うことを目標として研究を進めてきた。その結果,次に掲げる新知見を得ることができた。
(1)細胞内のADP-riboseを感知して開口するカチオンチャネルであるTRPM2が初代培養大脳皮質ニューロンに発現すること,また,TRPM2が過酸化水素処置に応答して開口し,細胞内Ca2+濃度の上昇を介した神経細胞死を引き起こすことを見出した。また,TRPM2遺伝子のノックダウンにより,過酸化水素の神経毒性が減弱することを見出した(J. Pharmacol. Sci., 101, 66-76, 2006)。これらの結果から,虚血再灌流障害などの神経変性において,活性酸素種に感受性を有するTRPM2を遮断することが有効な治療標的となりうることを明らかにした。
(2)トウガラシ辛味成分であるカプサイシン受容体として発見され,熱や酸にも応答して開口する感覚神経センサーであるTRPV1が初代培養ニューロンにも発現することを見出した。TRPV1を開口させるような刺激はいずれもニューロン死を惹起したが,この細胞死がL型電位依存性Ca2+チャネル遮断薬によって抑制されたことから,TRPV1とL型チャネルの機能的な共役が示唆された。また,内因性アゴニストを検索したところ,アラキドン酸から12-lipoxygenaseによって産生される12-HpETEが候補として浮かび上がり,Gq共役型GPCRの活性化によるprotein kinase Cを介したTRPV1リン酸化とともに細胞死への関与が示された(投稿中)。これらの結果から,TRPV1遮断薬が神経変性疾患の治療薬となりうる可能性が示された。
(3)脳の微小梗塞巣や出血部位において,血液から種々のプロテアーゼが脳実質に漏出し,グリア細胞の活性化を起こしていることが知られている。アストロサイトのモデルとして1321N1アストロサイトーマ細胞を用いてTRPチャネルの発現と形態変化あるいは増殖との関連を検討したところ,トロンビンPAR-1受容体を介するCa2+流入が細胞突起の退縮とアストロサイトの活性化に密接な関連があることが明らかになった。また,RNAiを用いてこの流入経路はTRPC3を含む受容体活性化型チャネルであること,実際に選択的TRPCチャネル遮断薬が形態変化を抑制すること,さらに初代培養アストロサイトにおいてもトロンビンによってTRPC3発現の増大が観察されること等が明らかになった(投稿中)。このように,TRPCチャネル遮断薬によってアストログリア細胞の機能を制御し,神経変性疾患の増悪を抑制することが可能であると考えられる。

 以上の結果と,その他に得られた知見を総合すると,上図に示すように神経変性に先立つ病態形成期において,ニューロンとグリア細胞のそれぞれにおいてCa2+流入と興奮性を司るTRPチャネルファミリーが関与しており,これらのチャネル群が新たな治療薬の創製に繋がる標的であることが明らかになった。
 現在,これらについてはノックアウトマウスを用いた病態モデルでの機能解析を進めている。

2.金属イオン輸送体
 すべての生物は微量元素を酵素の活性中心などに利用しているが,多細胞生物におけるイオン輸送の実態は不明な点が多い。一般にトランスポータの研究は放射性リガンドを用いた実輸送の解析で行われるが,未知なるトランスポータ遺伝子の機能解析においてはリアルタイム計測できる実験系が望ましい。
 我々はXenopus卵母細胞に強制発現させたNa+依存性トランスポータSLCファミリーの輸送活性を電気生理学的に計測する実験系を確立し,本プロジェクトの初期に農学研究科および生存圏研究所と共同で行った研究において次のことを明らかにした。
(1)海水中に含まれるCd2+を内臓に蓄積することが知られているホタテガイにおいて,鉄イオントランスポータSLC11A2がCd2+に対して高い親和性を有し,輸送と臓器蓄積を担っていることを明らかにした(FEBS Lett., 579, 2727-30, 2005)。
(2)ある種の植物が金属イオンを蓄積する性質を利用し,土壌中に存在するCd2+などの重金属イオンを植物によって浄化するために利用可能なトランスポータ遺伝子を明らかにした(Plant Mol. Biol., 61, 491-503, 2006)。
 これらの知見と技術はヒト遺伝子に対しても応用可能であり,次に我々は哺乳類の金属イオントランスポータホモログに着目した。特に神経系において下表に示す金属イオンは生理的にも病態形成にも重要な位置を占めていることが知られているが,その輸送の実体は明らかでない。

 そこで我々は胎生期の脳で強い発現を示す鉄イオントランスポータSLC11A2に着目して解析を行った。現在までにXenopus卵母細胞系での輸送電流記録に成功し,pHによる調節やリガンド特異性について新知見を得ている(未発表)。さらに脳梗塞モデルや培養神経細胞を用いた検討を進めている。