ゲノム情報科学研究教育機構
  留学体験記(平成16年度)
フンボルト大学 田中 道廣
 2004年の夏、私はフンボルト大学への三ヶ月間の共同研究に参加した。これはゲノム情報科学研究教育機構が推進する国際交流事業の一環として行われた。ボストン大学への学生の派遣は2003年度から始まっていたが、フンボルト大学への派遣は我々が初めであった。ヨーロッパと非英語圏ということでボストンとはまた違った体験ができるということ、派遣先の研究内容に興味を持ったという理由で参加を決めた。幸い留学生活は期待通り刺激的なものであった。

 ドイツ生活はアパートは受け入れ先のラボで用意してくれていたが、それ以外の手続きは全て自分達でやらねばならなかった。ガスや電話といったライフラインの設置にはじまり地下鉄の切符の買い方、学校からアパートまでの乗り継ぎ、スーパーを探しに一時間以上費やしたが結局みつけられない。こうした日本で当たり前のことがドイツでは出来ないということで当初は大変窮屈な思いをした。しかし、試行錯誤を1ヶ月ぐらい続けるうちにドイツ社会のルールなどもわかってきて生活が落ち着き始めた。ただし、ベルリンには多くのレストランがあり食事に苦慮することはなかったことを付け加えておく。

 ドイツの研究生活は非常にのんびりとしたものであった。私が配属されたハインリッヒ・ラボでは、学生は昼ぐらいにラボに来て昼食をとり夕方には帰宅していた。日本の研究室でよく見られる一日中ラボで研究に没頭しているという姿は見ることはなく私生活と研究生活をどちらの時間も大事にしているという印象を覚えた(一度、みんな家に帰って何をしているのかという質問をしたが、皆『リラックスしている』と口をそろえていた)。研究室では二日に一回のペースで教授とのミーティングが開かれたが、教授とのミーティングといってもそれほど堅苦しいものではなく、コーヒーを飲みながら研究結果の報告とデスカッションを一時間ぐらいするというものであった。はじめの二ヶ月はなかなか聞き取りができず、テープレコーダーに記録を取り、家に帰ってからそれを書きおこしていたが、三ヶ月目ぐらいにはレコーダーは必要なくなっていた。

 日本では一度研究室に所属すると中々、他のラボで研究をするということはない。他のラボで研究を行うということは異なる分野に触れることができかつ自分の研究分野を客観的にみることができる。こうした体験が海外のラボでできたということは将来自分が海外での研究活動を行う際の良き指針となると確信している。

  研究室の方々と
(前列左から、田中 道廣、本多 渉成相 直樹