「ゲノム機能科学による新たな分子標的医薬開発」
(Discovery of novel molecular target drugs by functional genomics)

京都大学大学院薬学研究科
医薬創成情報科学専攻
薬理ゲノミクス・ゲノム創薬科学分野
辻本 豪三

 創薬研究は、先端的な科学と技術の融合の上に成り立っている。したがって、創薬研究のアブロ−チの歴史を振り返ってみると、それぞれの時代における先端的な科学と技術に基づき、研究コンセプトや開発手法の技術が大きく推移している。生命科学領域で近年の最大の収穫の一つはヒトゲノムの完全解読であろう。ヒトゲノムプロジェクトの終了により、従来の化学合成が出発点であるオーソドックス創薬から、ゲノム情報に医学・生物学知識を盛り込み、バイオインフォマティクス、ゲノムテクノロジーにより薬物標的を絞り込むゲノム創薬へとパラダイムシフトしつつある。
 ヒトゲノム情報は医薬品分子標的のデータベースでもある。ヒトゲノム情報無しで人類がこれまでに創製した医薬品の分子標的は約500種類程度といわれているが、ヒトゲノム情報を手にした現在(そこに書かれている遺伝子数は約2万数千と考えられている)創薬標的が格段に増大すると推測される。また、今後ポストゲノム計画として機能ゲノム科学および構造ゲノム科学が進展し、個々の遺伝子やタンパク質の機能解析が進むと疾患メカニズムの詳細が明らかとなり、明確なターゲットが多くなることが予想される。更に、これまでの創薬が一つのターゲットを対象としてそれに対する活性を中心に調べていたのに対し、ゲノム全解読により遺伝子あるいはタンパク質全体を対象としたネットワークの研究へと変わって行くであろう。DNAマイクロアレイやプロテオーム解析により、病態や薬物による遺伝子発現プロファイルの変化といったネットワークをそのままモニターすることが可能になってきている。そして、生命科学研究は全体を見ながら進める方向へと向かう一方で、医療そのものは個人個人の遺伝的の体質に基づいて個人差を考慮してその人に合う有効な薬剤を選択し最適量処方するテーラーメイド医療に向かうことになろう。疾患の治療とともにゲノム医科学を基盤とした予防医療と先端医療が飛躍的に発展するものと期待されている。このネットワークに基づく生命科学の理解に基づく創薬、またテーラーメイド医療を可能にする治療薬レパートリーの品揃えを可能にするものとしてゲノム創薬アプローチが最も注目される。ゲノム情報を用いて治療分子標的分子を探索する方法として、オーファン受容体リガンド探索、DNAチップやプロテインチップ、二次元電気泳動等による網羅的遺伝子発現解析(トランスクリプトームレベル、プロテオームレベル)に基づく創薬標的探索、ノックアウトマウス等の遺伝子改変動物による個体レベルのゲノム機能探索、更にはsiRNAを用いた網羅的遺伝子機能解析による創薬標的探索などがある。我々の最近の成果としてオーファン受容体GPR120のリガンド同定がある。我々はまずオーファン受容体GPR120は遊離脂肪酸を天然リガンドとすることを見出した。更に、GPR120を発現する消化管内分泌細胞ではGLP-1(glucagons-like peptide)が多く分泌されることが判明し糖尿病に対する新規の作用メカニズムを有する予防・治療薬標的分子として期待される。また、我々はDNAチップを用いた解析研究から、腎炎治療薬の新たな標的分子の発見に成功した。腎症等の“一般的疾患”は単一遺伝子疾患ではなく、環境因子と遺伝因子の複合的機序により発症する多因子疾患であることが明らかとなってきているが、多因子疾患の病態解析に有効な方法論を欠く現況である。ゲノムテクノロジーの進展により、微量検体で発現変動している遺伝子群を解析する技術革新としてマイクロアレイ法やDNAチップなどのトランスクリプトーム・スキャニングが登場した。その応用はゲノム計画で整備されつつある遺伝子情報と相まって、遺伝子機能解析の最有力の技術となることが期待される。
 具体的な例を参考にゲノム創薬アプローチの基盤がこの5年で構築できたが、薬物受容体やキナーゼ等のシグナル分子は極めて大きな種差が観察される場合がある。動物の受容体を用いて薬物スクリーニングしていると、動物では効くが人では効かない“薬”を作ることとなりかねない。その意味でヒト・ゲノムは人の治療薬標的を探索する上で極めて有用な資源である。今後、ゲノム研究が益々個々の遺伝子型と表現型に関する情報が蓄積されテーラーメイド医療、更にはゲノム医療が大きく推進されよう。特に、生命分子ネットワークと化合物データベースが融合したケモゲノミクスは基礎的生命科学研究の成果を特に医療、創薬産業などに直接応用できる形で提供するものとして注目される。

COEプログラムの成果として代表的業績
(1)J. Clin. Invest., 113: 302-309, 2004.
(2)J. Biol. Chem. 279: 45626-45633, 2004.
(3)Nat. Med. 11: 90-94, 2005.
(4)Proc. Natl. Acad. Sci. U S A. 102: 5198-5203, 2005.
(5)J. Biol. Chem. 280: 19507-19515, 2005.
(6)Cell Metabolism. 2: 297-307, 2005.
(7)Proc. Natl. Acad. Sci. U S A. 103: 7807-7812, 2006.
(8)Trends Endocrinol. Metab. 17: 269-275, 2006.
(9)Mol. Cell Biol. 3008-3022, 2007.